幸福が見せ掛けか、本物か?②

増刊号、原動力がどっちなのか? -Mature enough-では心の成熟レベルに触れ、幸福が見せ掛けか、本物か?①では切り口を作りました。今回はその続編になります。

前回は例えば“職場で大きな失敗をしてちょっと落ち込んでいるという人”という設定でした。

あなたはどんな時に「幸福」を感じますか? 

人々は欲求を叶えたら満足し幸せになれると信じ込んでいます。例に挙げた人は、ケーキをいつもより多めに買いに行きました。しかしそれで心が満たされたということではありませんでした。つまりは、感情に従って欲求を叶えたからといって、満足度が得られるというわけではないのです。近年の自己啓発本では、「感情に従え。」、「無意識に着目する。」などの安直なフレーズが並びますが、決して私はそうではないと思います。まずは、落ち込んでしまった理由を明確に同定し、それに対する対処法を論理的に考えていく。そして対処法をただただ実行していく、というのが根本的な解決法だと思われます。今回の例では、ケーキ屋さんに行くよりも、自分が成功したかったけど失敗してしまった仕事について相談できる相手や、一緒に再出発をしてくれる仲間を探しに行くべきでした。他の例を挙げてみます。ある人は「お金持ちになりたい」と言う欲求があるとします。そして、この「お金が欲しい」という気持ちをもっと論理的に考察していきます。まず問いたいのはその欲求に至った理由です。「お金持ちになって得たその大金を何に使いたいか?」。多くは「そのお金を使って良い暮らしがしたい」「デート代にお金を使って誰かからモテたい。」などでしょう。「研究費に使って新しいテクノロジーを開発したい」「軍事力を高めて世界中の戦争を止めたい」「お金を使って食べ物を購入し世界中の貧困を救いたい」など無限です。欲求が生まれた理由に着目してみます。そして、この理由に直結する行動をとっていくべきです。

大金がなくてもいい暮らしは出来ます。そもそもいい暮らしとは人によって定義が異なります。例えば心の底から本当に一緒にいたい人と生活をするとか、田舎でのんびり暮らす、無農薬の野菜に囲まれる生活、これらを達成するのに大金はいりません。もし、「かっこいい車を買いたかった」のであればその次を想像してください。車を一生独りで運転し続けたい?それとも誰か同席してくれる人が欲しいのですか?速い車を運転することで、遅い人を見下したいのですか?もしモテたいのであれば、お金を稼ぐよりも人間力を磨くべきです。何十年も一緒に他人と暮らすなんて、人間力以外の何ものも不要です。もし人間の魅力に惹かれあって一緒にいるという以外の理由があるのならば、それは見せ掛けの幸せに分類されてしまうかもしれません。新しいテクノロジーを開発したいのであれば、お金が自分になくとも共同開発をしてくれる企業を探せばいいことです。戦争を止めたいや貧困を無くしたいのであれば、本当に優しい人類愛をお持ちの方なんでしょう。そのような同士を集めることがまずの1歩でしょうか。この本当の欲求は精神の成熟レベルに応じて発生されるとされていて、マズローMaslowの「階層欲求」という考えにより6段階に区分されています。「お金が欲しい」という欲求が発生したメカニズムを考えてみます。「欲求」は、現在自分が置かれている場所や時代が大きく影響してきます。例えば発展途上国にお住まいの方で、せめて家庭内に水道や電気が欲しいから「お金が欲しい」と言うのと、何もかも満たされた生活環境で「さらにお金が欲しい」と言うのは全く異なる意味になります。前者は「必要分の費用」という意味で、「余剰」な金銭ではありません。また、誰かは「秀才になりたい」と言って髪の毛振り乱して誰とも接せず勉強や仕事に打ち込むかもしれません。この苦しい孤独な努力の後にきっと幸福が待っていると本人が信じているのでしょう。しかしながら努力したからと言って、100人中100人が幸せを得られるとは限りません。そもそも「見せ掛けの幸福」を間違って追い求めていたようにも見えます。どうせ一生懸命取り組むなら、自分の興味があることに打ち込むのはどうでしょうか。だって結局は、「幸せ」が欲しかっただけなのですから。

つまりここでは、欲求と欲求が発生した理由にギャップがあると、欲求を達成したのちに、決して幸福が待っているわけではないという事です。私達は欲求の先に「幸福」を期待しています。その為に人は一生懸命色々やって、限られた人生の時間を過ごしています。つまり人は何をしていても、「単に楽しく幸せになりたい」だけだとなんだと思います。例で示した上記の欲求でさえも、それらを叶えた先には単に自分と誰かの幸せです。意地悪な発想ですが、「お金持ちになって武器をたくさん購入して戦争をする、世界征服をしたい」と言ったらどうなるでしょうか。これも同じです。世界征服の後に幸せが待っていると勘違いしているのですよね。だから強く追い求めます。これは「架空の幸福」や「見せ掛けの幸せ」に他なりませんが、どんな人も単に幸せを追い求めて生きているだけです。ただ残念ながら、この目に見えない「幸福」の追い求め方や「見せ掛けの幸福と本当の幸福の見分け方」、は受験戦争に勝っても仕事で出世をしても習得出来るものではありません。「高学歴、高い社会的地位」とは無縁だからです。そして誰も教えてくれません。自分で見つけていくしかないのです。この見つけて行く過程がまさに、「生きていく」ってやつではないでしょうか。

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