幸福が見せ掛けか、本物か?①

増刊号、原動力がどっちなのか? -Mature enough- では心の成熟レベルに触れてみました。その中で意味深な一文を残して物議を醸し出してきました。

自分がこれまでも今も「幸せ」と認識して大事にしてきたキャリア、価値観、所有物、生活用品や人付き合いまでもに対し、「それ見せ掛けかもしれませんよ?!」と他人から指摘されたらどんな気持ちになるでしょうか?これまで一生懸命努力してやっと到達出来た職場内での昇格、やっと貯まった大きな貯金額、何度も挑戦してやっと得た高学歴、世界中を旅してやっと見つけた骨董品、大事にしている家族などなど、全てを悪く指摘されたと想定します。「あなたの職業、ださいですね。」「あなたの学歴、しょーもないですね。」、「お持ちの品、やすもんに見えますね。」もしくは、長年の夢であったマイホームに対し「でかいだけで、意味ないね。」

さらに白衣を着た研究者が何人も集まってあなたをじっくりと見て眼鏡を触りながら討議します。「いややぁ、この人が持つ「幸福」はどう見ても見せ掛けですねぇ」、「はい、偽物認定」。

「幸福」とはそもそも主観的な感情なのでどんなに偉い研究者であろうとも他人にとやかく言われる筋合いはありません。偽物認定をされたとしても、「ご指摘はありがとうございます。でも自分はこれが本当に好きなんです。」と穏やかに言い返せた人は大丈夫です。どうぞそのまま自分の人生を進めてください。

指摘をされた事によりムキになって「これが私の好きなものなんだ!!」と感情が高ぶったり、不快な気分や怒りがこみ上げた人達は要注意です。憤慨したのを隠しても無駄です。感情が動かされたのならちょっと要注意としておきます。

過剰反応してしまった人は少し深掘りする必要があるかもしれません。つまり、「見せ掛け版の「幸せ」」にしがみついている可能性が高いという意味です。また「幸せ」を感じられる感受性が鈍ってきている可能性も否定出来ません。

もし、気分を害してしまった方は無理してこれ以上読み進める必要はありませんが、気が向いた時に読み流す価値はあるかと思われます。 自分の現在の価値観を超えた物を取り込むという行為は成長のFirst stepでもあり、意外に悪くないことでもありますよ。

本テーマに戻ると、「人間はなぜ/何のために生きているのか?」です。それは「楽しく幸せになりたいから」ではないでしょうか。それには見せ掛けの「幸福」では達成出来ないのです。つまり、今回は真の「幸福感」Happinessの考察です。壮大なテーマになってしまいました。

特に欧米で盛んに行われている心理学、社会学、コミュニケーション学、哲学分野における研究が興味深い理由は、この私達が持つ普段目に見えない感情を扱うからです。特に「幸福感」Happinessを本気で解明しようとしている熱心さには感銘を受けます。もしかすると研究結果を求める需要が高い背景があるのかもしれませんね。

感情は目に見えないし、触れるものでもないので一見「目先の生産性」とは直接の関係がないように見えるので、生産性を追い求める人種からは粗末に扱われることも少なくありません。しかし、この目に見えない感情「幸福感」Happinessをどう得るかが人生を豊かにする鍵であると、研究者達が口を揃えて言います。そして人間という本体を操縦しているのがその目に見えない「感情」です。

例えば今日、職場で大きな失敗をしてちょっと落ち込んでいるという人がいるとします。彼女は何とか気分を上げたいと思っています。この人を他覚的にみると、格好のビジネスターゲットです。彼女が大好きなケーキ屋に一緒に行こうと誘い出しさらに割引券でもプレゼントしようものなら、いつもの倍くらいは購入されるでしょう。割引券があるので1つ1つのケーキは費用が抑えられたとしても、普段は堅実な彼女も結局はいつも以上にケーキ代に大きな出費をするでしょう。

自宅に持ち帰ったケーキ全てを食べきれたかどうかは分かりませんが、ここで2つのassessmentがあります。

まず、たくさんのケーキ購入という行為は単に気分転換となるただのきっかけであって、けっして真の「幸福」ではありません。見せ掛けの「幸福」とも言えます。なぜ言い切れるかと言うと、そもそも落ち込んだ理由は今自分が一生懸命取り組んでいる仕事でミスをした経験から来ています。成功させたくて頑張っていたからこそ、その痛手が心に響いたのです。一生懸命取り組んでいないことで失敗しても誰も傷つきません。頑張っていたという美しい証拠なのです。

次ぎに、幸福感Happinessの回復を他者に求めると非常に弱く・脆弱weak/fragile であるという事です。 この例では、まんまとビジネスターゲットに引っかかってしまいました。ケーキ代の出費くらいで済んだのならまだましですが、度が過ぎると高価な物の購入を迫られて断れない、というケースが発生してしまっても不思議ではありません。

幸福論The conquest of Happiness. は1950年にイギリスの心理学者Bertrand Arthur Williams Russellにより発刊されました。ラッセルはこの書籍の中で、「幸福な人」を定義していいます。1950年、今から約70年前の名著ですが、この書籍の中でも「現代の人間は「幸福」を忘れておる。(けしからん)」と言っています。つまり70年以上前から結局人生にとって一番大事なことは「幸福」であると分かっていて、これが普遍的な幸福論なんだと思います。書籍の中でラッセルは幸福を以下のように定義しています。

“幸福な人とは、客観的な生き方をして自由な愛情と広い興味を持っている。
また、興味と愛情を通じてそれゆえに自分が他の多くの人々の興味と愛情の対象にされている
という事実を通じて、幸福をしかとかみしめる事が出来る人である“

この定義がすんなり理解出来たら素晴らしいです。 私なりに解釈を入れると、「いつもニコニコ元気で活発に仕事もprivateも楽しんでいる大人」です。周囲に思い当たる人はおられますか?それとも自分に当てはまるでしょうか?

幸福な人は、勉強にも仕事にも生活にも「自分は成長途中である」と本気で思えているので、興味があるものに対し失敗を恐れず、どんどん取り組んでいきます。その姿が純粋なので周囲の誰もが憧れています。そして本人も周囲の期待を楽しんでいて、嫌みがないほどに純粋に「みんなの光にでもなれたら良いなぁ。」とも思っているでしょう。周囲の人々に愛情を持って接し、自分も愛されている事を実感しているまるでピュアな子供のような大人です。そんな幸福人を思い浮かべながら次回に続きます。

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