限界を決めて、限界の中で生きる
渡米前の約4年前、職場の臨床心理士さんから頂いた専門家的な応援のお言葉を今でも明瞭に覚えています。「アメリカがんばって来てくださいね。」「全部取り除かれたあなたがいったいどうなるのか楽しみでなりません。」「うぅーんって感じです」、と満面の笑みと大きく伸ばした両手で伸び上がるジェスチャーをして下さいました。それはまるで缶の蓋が取れて中かから思いっきり成長する植物のようでもありました。その時の私には意味が分かりませんでした。「全部取り除かれる?って。今でも何もついてへんけどなぁ」。
心理士さんってきっと我々一般人には見えない何か見えていますよね。
4年経った今、先生がおっしゃっていた意味が分かりました。昔私は知らない間に限界Limitationを自分で決めていました。例えば「英語が話せないから海外の大学病院での研究なんて自分には無理だ」「ましてやスタンフォードなんて自分は絶対ふさわしくないから採用なんてしてもらえないだろう。だから応募はやめておこう。」「そんなわがままなんて言わないで、日本国内で与えられている今の環境を精一杯楽しんで一生懸命頑張ろう。」と言いきかせていました。
そして応募という決断に至るまでは、本当に時間がかかりました。
最近でこそ、「潜在意識に着目しろ」「本当の自分とは」など人間が持つ感性の根源に問いかけるような自己啓発書籍が多く出版されています。無意識下での言動に着目する事で人生をより良くしようという欧米の心理学です。人々は知らず知らずに自ら小さな缶の中に入り蓋をキッチリと閉めてしまう時があるようです。その缶の大きさは人それぞれですが、かなりの大きさの違いがありそうです。そうするのが「普通」「常識」と習ってきたからです。そして忠実に守っています。缶の中は雨風もしのげる安全な場所です。日本人って小さな島国内で、限られた資源内でも精一杯生きて人生を謳歌する天才だと思っています。常に自然災害発生のリスクに怯えながらも与えられた時間を大切に使う事に長けています。限られた自然もみなで平等に分け合って取り合いもしませんでした。島内というLimitationの中でも輝く事が出来る生き方が昔はピッタリと来ていました。それで良かったのでしょう。しかしこの美徳が少し崩れている現状や人々をみかけませんか?なんか狭くて息苦しそうにも見えます。そこでこの美しさを残したままで、現代風に少しだけ価値観をadjustする必要なのではないかと感じています。
固定概念を外しつつも日本人の真面目さを維持したとします。すると、例えば職場に出勤せずに自宅勤務とします。仕事といえば、会社や病院などその場所に行くのが「常識」でした。しかし、昨今のインターネット進化は著しく仕事の効率化を促してくれています。GoogleにApple、TwitterにFacebook本社があるカリフォルニア州では多くのIT関連従事者が、パソコンだけを持ってカフェや自宅で仕事をしている姿は日常風景の一部でした。インターネット回線を使ったテレビ会議もパソコンとインターネットさえあれば場所は問われません。もし日本国内の多くの会社が社外ワークの体制を取ったとします。途端に毎朝の通勤ラッシュに、異常なまでの満員電車も多少は改善されるのではないでしょうか?毎朝、あのような環境にさらされていてはどんな強靱な人も疲れてしまうのは目に見えています。そんな環境の中でも精一杯生きている日本人はやはりすごいのだと思います。先ほどにも述べたように、どんな狭い缶の中でも精一杯頑張るのは美しい点です。ただどのような職業であっても、環境であっても缶を空けて飛び出して見ても良いのです。飛行機も船もあり今すぐ明日にでも海外へ飛び立てます。もし活躍の場所をLimitせずに、もし世界にしてみたらどうでしょう?もし想像してみて「今よりも数倍楽しい人生になるだろう」、と思った人は今すぐにでもそうするのをお勧めします。我々はどんな環境でも思いっきり生きて幸せを感じる天才です。つまりは世界中のどこにいてもその土地の環境や文化を工夫して立派に生きられるのです。冒険の場を国内から世界に移してみて、日本人から世界人になってみませんか?英語もままならないのに渡米してしまった私からの今回はそのような提案でした。
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