原動力がどっちなのか? -Mature enough-

Matureは「成熟」という意味合いですが、命ある有機体全てが成長する状態を指す言葉です。どういう事かと言うと、「ワインが熟した」にも使えますし、「(野球部に入った親戚の中学生を指して)すっかり大きくなったなぁ」にも使えます。もちろん味噌にも漬物にもいけますが、今回は人間の精神面でのMatureについてのコラムにします。

イメージするために分かりやすい職業を具体例として用います。「プロスポーツ選手」「会社の部長クラス以上」「お医者さん」「博士号」「教授」「政治家」「実業家」など皆が羨む高い社会的地位に着いているのにワイドショーの主役を飾ってしまう人です。なぜ悪いニュースに登場してしまうのでしょうか。このような部類の方々の多くは、周囲からの期待を集め早くに出世し、貯金もあれば家族も持ち家もあります。高級そうな服装をまとっていて何もかも満たされているように見えます。本来なら皆の憧れの的です。しかしこのような部類の方々に実際に会ってみると、本人達はなんかしんどそうだし幸せそうではありません。一緒にいると終始気を遣わないといけないので周囲の人々がリラックス出来ません。これでは本人も周囲も疲れてしまいます。なので実は嫌われていたりもします。仮にこちらを「Unhappy群」と呼ぶことにします。

一方、こういう生き方をしている人を想像してください。女性でも男性でも大人でも若くても、英語でも何語を話してくれても良いのですが、いつも笑顔で楽しそうな人です。いつも優しいのですが、非常事態時には感情を荒立てることなく冷静に対応する真の強さも見せます。上記で示した職業でも良いですし、どんな職場でも皆からの信頼を得ています。本当の愛情と友情を大事にしているので、(好意の裏返し表現や妬まれることはあるかもしれませんが、)誰からも嫌われていません。一緒にいても気を遣わなくて良いので周囲もリラックスしていてなんだか皆が楽しそうで幸せオーラが出ています。こんな嘘みたいな素敵な人が本当に存在するのか?と言うと、存在します。自己実現を果たし国内外問わずに活躍出来るこの部類は少数派Minorityとして存在しています。こちらを「Happy群」と呼ぶことにします。

職業を結果として捉え表面的に見てみると、Unhappy群/Happy群ともに自身がなりたかった憧れの職業に就き、自己の目標を実現していて素晴らしいです。しかし決定的な違いは片や悪いニュースに出て当の本人が幸せとはほど遠い状態で、もう一方は「幸せ」に溢れています。ということは「自己実現」は「幸せ」には直接の関係がないと示唆されます。少しここで掘り下げますと、自己実現self-actualizationという言葉の意味は、クルト・ゴールドスタインKurt Goldstein (ドイツの脳神経学・心理学者)によって1934年に発刊されたThe Organism の中に詳しく書かれています。人は人生の様々な時期やステージに、各自設定した目標やゴールを達成していきます。実はこの過程こそが、「個人の成長」そのもので、個人が持つ素晴らしい能力や個性を熟知し自分専用の魅力を確立していく重要な経験なんです。「有名大学を卒業、大手企業への就職こそが自己実現だ!」と勘違いしがちですが、本来の意味は違います。本筋は、目標やゴールを自分で設定しそれに向かって努力し達成していく過程です。目標やゴールは小さくても大きくても、なんでも良いのです。達成すれば最も強い自信に繋がりますが、かといって失敗してもまた次の「目標・ゴール設定と努力」の繰り返しなので、失敗も特に問題ないはずです。大事なのはそこから得られる裏の効能です。残念ながらこの理論でいくと、「悪い自信」も存在してしまいます。例えば誰かの業績を奪って出世し、賞賛を得たとします。賞賛の味が忘れられずまた誰かから奪う努力へ、という繰り返しです。このような過ちはしたくないところです。こういう時に間違った方向性を指摘してくれる本当の友達や家族が居れば良いですね。

ここで極論を問います。「人間はなぜ/何のために生きているのか?」です。それは「楽しく幸せになりたいから」と言ってしまっても過言ではないです。そしてなぜか欲求を叶えたら満足し幸せになれると多くの人は自然に信じて人生を歩んでいきます。例えば「お金持ちになりたい」と言う欲求がある人がいるとします。もっと論理的に考察するためにまず問いたいのは、「お金持ちになった先にどうしたいか?」です。例えば「良い暮らしがしたい」「誰かからモテたい」「新しいテクノロジーを開発したい」「世界中の戦争を止めたい、貧困を救いたい」など無限です。これら後で出てきた気持ちが「本当の欲求」です。この本当の欲求は精神の成熟レベルに応じて発生されるとされていて、後にご紹介するマズローMaslowの「階層欲求」は成熟レベルを6段階に区分し定義しています。「欲求」には、現在自分が置かれている場所や時代が大きく影響します。例えば発展途上国にお住まいの方で、せめて家庭内に水道や電気が欲しいから「お金が欲しい」と言うのと、何もかも満たされた生活環境で「さらにお金が欲しい」と言うのは全く異なりますよね。前者は「必要分の費用」という意味で、「余剰」な金銭ではありません。前者は安全を求めていて、後者はお金の先に何かを求めています。この欲求の先にある目的によって階級があるという訳です。

人は欲求を満たすために目標やゴールを設定し、実現するために、それはそれは一生懸命に金銭も時間もエネルギーも費やし努力し続けます。さらにもっと深く考察すると、自己実現の先に「楽しい幸せ」を期待しています。しかし現実に必死に追いかけてみたけれども「見せ掛けの幸福」だった、というオチも多々あります。そういう時は個人の幸福の価値観と目標やゴール設定にズレが生じてしまっていたという学びの機会です。幸か不幸か、限られた人生の時間を「楽しく幸せになりたい」という一心だけで人間は生涯突き動かされています。他の動物から見たら「同じ動物なのに、人間という動物はなぜこんなに忙しいのやろうか?」と不思議がられているかもしれませんね。

題名にあったように、ここでこの惜しみない努力への原動力に着目したいと思います。この部分を明確にするために、アブラハム・ハロルド・マズローAbraham Harold Maslowという1900年後半に活躍したアメリカ、ニューヨーク出身の心理学者の「階層欲求」という考えを引用してみます。1954年にマズローは心の成長ごとに生じる欲求を5段階に分けました。晩年になって5段階の欲求階層の上に“やっぱ足らんかったわ!”か“上には上がおったわ!”となったかは知りませんが、もう1階級追加されたので5段階+1です。(詳細は原書などをご覧ください。)マズローMaslow の考えを示して最後に、原動力へのオチへ結びつけていきたいと思います。

まずは表の見方ですが、一番下に位置する生理的な欲求 (Physiological needs)は、我々が生まれた瞬間から始まる最も原始的な欲求です。本能とも呼べます。動物がその生命を維持するのに必要不可欠な食欲、排泄欲、睡眠欲、繁殖欲などです。野生で暮らす動物にはこの欲求だけで十分ですが、幸いにも動物のなかでも我々が所属する人間社会は、この階級以上の欲求が生じやすい比較的安全な環境であることが多いです。

2段階目は、安全への欲求 (Safety needs)です。水道水には毒が混入されていないで欲しいとか、火事を起こしたくないのでキッチンの火は消したいときに消せるようにしたいとか、本当の安全という意味です。家が突如崩れ落ちてきて死なないようにしたいとか、殺人犯が入ってこられないように自宅には鍵のかかるドアが欲しいなど、誰もが安心したいですよね。この階級も、世界的にも一部のエリアを除き守られているのではないでしょうか。

第3階級は、1と2が満たされたのでちょっと欲張りになってきます。自分が社会の一員でありたいとか(所属欲求)、他人から愛されたいと思い始めます。現代社会を生きていると当然とも言える気持ちですよね。これを社会的欲求や愛情への欲求 (Social needs / Love and belonging)といいます。第2階級と第3階級の境界線は野生で暮らすか現代社会で生きるかの明確な区別になります。第1.2階級の欲求が満たされないとしたら、どのような気持ちになりますか?恐らく、「必死」になります。化粧や髪型が乱れるとか、走り方がかっこ悪いなどを気にする前に脇目も振らず狩りに出て食べるものや自宅に使えそうな木材を探しに森へ行くと思います。しかし、第3階級でもこの階級の欲求が満たされないと、別の意味で「必死」にならざるを得ません。なぜなら、社会からや誰からの愛が得られないと、疎外感や愛情不足を感じ孤独感や不安が強くなります。このようなネガティブな気持ちがコントロール出来ずに突き動かされる人間がいるように、ここから現代社会を生きる人間がシンプルで居られなくなってきます。

第4階級はある程度社会で活躍した後に出てくる「もっとぉぉぉ!」です。「もっと人から尊重されたい」気持ちです。つまり承認(尊重)への欲求 (Esteem)です。一人で騒いでいる分には全く問題ありません。むしろ、自分を磨き始める原動力となり、勉強やスポーツ、仕事にも打ち込み、仲間を増やそうと社会活動に励んだりと、とても良い青春時代を過ごせるでしょう。しかし、「もっともっともっとぉぉぉ、他人からの承認や尊敬、注目が欲しい」となってしまう人がいます。それは例えばこういう人です。「いつも偉そうに振る舞ってすぐに怒る大人」です。こういう人は大概、注目を浴びないと機嫌が悪くなります。彼らが何を言っても要は、「もっと尊敬してー!」「もっと自分の頑張りや価値を認めてー!」と承認欲求を表現していて、本人はこの第4階級で得られる欲求を満たそうとしているだけです。そして欲求が満たされないと感情を乱します。考えるだけで残念な大人です。しかし、思い出してください。私達全員が散々やってきたはずです、子供の時に。子供は上手く言葉で自分の感情や欲求について説明出来ないので、大人の気を引く為に怒ったり泣いたり体で表現します。なので、この階級の言動は「子供には普通で正常」でしたが、大人になってもこの段階にいる人は厄介なのです。まして、出世でもして社会的地位が高いとなるとさらに厄介になっていきます。大人版では例えばこのような状況が想像に容易いかと思います。上司が部下に、「君は失礼だ」と怒鳴っている場面です。何もわざわざ大きな声を出して怒らなくてもお互い大人ですし、言語も理解出来ますから言葉を用いれば良いだけです。ただ本人はそれにも気付かず事態をもっと悪くしたりもします。それは、欲求が得られない時に劣等感を作り出す事です。すると、「もっと尊敬しろ!言うことを聞け。」など相手を無理に落とし込む事で自分が上回っている錯覚でさえも欲しがるようになってしまいます。これが優越感ですね。普通に優しく話せば1分で済む話も、自分の尊厳欲求を盛り込んでくる為、感情的になり的を射ない内容になり話が無駄に長くなります。「怒っているのではなく、怖がってるんやね (嫌われるのを)。不安なんやね(自分の実力が及んでない事がばれるのを)。」と見方を変えれば、腑に落ちます。恐らく子供の頃に欲求が満たされなかった可愛そうな人かもしれませんが、だからといって他の誰かを攻撃し、はけ口にするのは絶対に許されません。同僚や部下は彼らの劣等感にそもそも関係ありません。地球上全ての人間が多かれ少なかれ持つ個人の問題です。

第4階級に長く留まり続け劣等感を原動力に優越感を得ようとしてしまうのが冒頭に挙げたUnhappy群です。周囲からの尊厳や注目を得るために、仕事に没頭し社会的な昇進を果たしていきますが本人はいたって「幸福感」を感じていません。劣等感を原動力にした場合には、副作用が生じます。例えば仕事に没頭し過ぎた故に大事な人や家族をないがしろにし最終的に失ったり、切迫感の恐怖や不安に耐えかねて他人の業績を奪ったり、鬱病になったりと、これらの副作用を耳にするのはけっして珍しくないはずです。その一部がワイドショーなり、ニュースに取り上げられました。結果として人生のHappyになっていないのです。故に最初から、Unhappy群と名付けました。劣等感の塊の人にさらに不安や恐怖がのし掛かって精神状態が悪い時には、周囲も悪影響を受けないよう気をつけましょう。例えば自分自身で得た場合も他人の業績を奪って得た場合でも、いったん得た賞賛の味が忘れられないUnhappy群は、まるで喉が渇いて水を求めるように業績をずっと求め続けます。ここで想像して欲しいのですが、まるまる1日水も飲まずに炎天下を走り回って喉が渇いている時に、正直「水を飲む」以外の事を冷静に考えられますか?隣でひなたぼっこをしている老人が、数え切れないほど多数の缶ジュースを持っていたら、1つくらい欲しいと思ってしまうのが人間です。ここで踏ん張り切れるか、ご老人が居眠りしている隙に1つ盗むかが分かれ道ではありますが。学生時代の運動部の練習では、部活の先生から飲水を制限され炎天下の中、厳しい練習を命じられた時がありました。しかし今だから曝露すると、練習に専念しているふりをして、どうやってコンビニに行こうとか、どうやって部室に戻るふりをして給水所を経由していくかとか、そんな汚い事ばかりを考えていました。そしていつしか大好きだったスポーツも楽しめなくなっている自分に気づきました。修行をしている方以外の普通の人であれば激しい欲求にはなかなか勝てません。Unhappy群の業績を求め続ける大人にも同じメカニズムが当てはまります。本来目指していた夢や興味、好奇心を見失い、一時的な賞賛を得る為に罪悪感でさえも消し去り卑怯な手段も厭わなくなります。このような分類の人々は大抵ごまかすのも上手なので表向きにバレにくく周囲も気付いてあげられません。多数の副作用を生む、悪循環に入っていきます。何かのきっかけにより本人が軌道修正を出来たら良いのですが自分に向き合わず置かれている状況を理解出来ないまま長い年月をかけてしまう人が少なくありません。ここでもし本当の友達や同僚、家族がいれば誰かが気付かせてくれるチャンスもありえますが、こういう人種は大概他人の話を聞き入れられない難しい状態になっています。ただ薄々本人が周囲から好かれていないとか、間違った方向に進んでいると気付いている場合もあります。分かってはいながらも止められない生き方にさらに劣等感を感じ、他人からの表面的な同情や哀れみを求める人もいます。ましてやこれを友情や愛情だと勘違いしてしまいます。一方がまともならこの関係は長くは続きませんが、社会とは不思議な需要と供給が成り立つもので、「依存してもらいたい!」という悪趣味をお持ちのまた別のUnhappy群が存在します。しかし、もしどんな種類の関係性であっても健康的で長く続く本当の幸せを求めるのであれば、この種属との共同作業は非常に難しいです。ただ、人間の可能性はゼロではないと言っておきます。

第5階級は自己実現の欲求 (Self-actualization)です。1-4を過ぎた後に生じる欲求なので孤独感も劣等感もある程度通り過ぎています。現状に満足し感謝する日々を想像してください。けっして大金持ちではないけど毎日、水も食事も電気もある、一定の収入と住む場所も確保出来ています。テロの爆撃を受けやすい生活環境でもありません。今後は家族とともに幸せに暮らす事や将来自分が就く職業などを考え出します。誰かに感謝される仕事に就きたい、得意の語学力を活かした仕事がしたいなど、夢を語る全体的に明るい気持ちです。ただ、人生や社会はそう甘くはないのでそれなりのトラブルは経験します。乗り越えられる時もあれば乗り越えられないときもありますが、それでも自己の目標を掲げて多少のアップダウンはありつつも、満足した人生は続いていきます。まるで人生がアドベンチャーのようです。第4階級と第5階級の見た目の違いは、笑顔を振りまいているかどうかです。第5の人はよほどの大きな事がない限り怒りませんし機嫌も悪くなりません。他人がどう言おうが自分の人生と現状に満足しているからです。他人と比べる事も好みません。マズローが最後に追加した+1の部分は、これら5つの欲求全てを満たした「自己実現者」のうちさらにごくわずかの選ばれし者だけが、第6階級である自己の超越 (Self-transcendence) の段階に進めるという話です。

それでは本編も長くなりましたので、第6階級に入る前に本章の題名である「原動力がどっちなのか?」をもう一度考え、いったん終わりたいと思います。冒頭に、2種類の自己実現者を例に出しました。Unhappy群とHappy群です。どちらも頑張って子供の頃からの夢だった職業に就き、外側から見たら同じ素晴らしい結果ですが、その当人の内側には大きな違いがありました。Unhappy群は劣等感を原動力に業績を達成し、「人生を生き抜く」「賢い」と勘違いして来た生き方は単にずるく、周囲から好かれるものではありませんでした。何よりも本人が「幸せ」を感じられていません。人生を終えるときに、一体何人の本当の友情や信用、同僚、家族が残っているでしょうか。幸せを感じられないままならそれは「人生の成功」ではありません。自己実現を果たし社会で活躍する第5階級以上の人は本当の意味での「成功」を果たしています。この人たちこそがHappy群です。好奇心と「幸せ」を原動力に用いて成し遂げて来ました。興味や好奇心に従って誰かの幸せを願って楽しく仕事をしていたら自然に後に業績がついてきて、愛を配っていたら自然に信頼出来る仲間が集まりました。正義感を持った「賢い」生き方を選んできたので誰からも嫌われていません。自己に満足している人は社会において誰かを上回る事でしか得られない優越感は彼らの人生に不要なので、他人との無駄な競争を好みません。怒りや劣等感、これらが生み出す競争心は社会には必要ないはずです。もしフレンドリーな競争を楽しみたいのであればスポーツ大会に参加するか、芸術、アカデミックの世界で清く競争するのが良いでしょう。競技会なので順位はつけるでしょうがその数字が低いからといってその人の才能が否定された訳ではありません。また次へのモチベーションに繋げたら良いだけです。

自己実現を目標に掲げて紆余曲折や浮き沈みはあるけれど、その都度学び成長していきます。人には人の成長のスピードがあり、階段を1歩上がったと思ったら間違えて降りてしまったりもします。要は、Happy群に繋がる方向性さえ間違わなければどんなに遠回りでも遅くても良いでしょう。Happy群への途中の道であれば、途中の苦労も厭いません。

最終段階である第6階級は、自己の超越 (Self-transcendence)のレベルです。第4から第5階級に上がるだけでも難しい人が多い中、第6階級はそう簡単に達するレベルではないです。全ての人の人生に絶対必要なわけでもないです。マズローMaslowの研究報告の一部に、第6階級は当時の人口の2%にも満たないという意見もあったくらい少数派Minorityです。普通に暮らして居れば絶対出会うことのない第6階級の人にもし出会えたのなら、それは奇跡です。その出会いがきっとなにかの人生の転機とやらにでもなるのでしょうか。第6階級者がもたらす恩恵も今後考えていきたいと思います。

コラム一覧へ

お電話でのお問い合わせはこちら

092-409-1417

Copyright © NEXT STAGE Co.,ltd. All Rights Reserved.